「必ず迎えに行く」なんて言われたら・・・

国重要文化財「遮光器土偶」 (岩手県手代森遺跡出土 文化庁蔵) 映画
国重要文化財「遮光器土偶」 (岩手県手代森遺跡出土 文化庁蔵)

友人と今回はIMAXでエヴァンゲリオ観てきたんだけど
やっぱり絵がキレイ、音もいい、ハッキリ素人にも分かるレベルで違う

 

ネタバレ(軽め)

いやー、IMAXはやっぱりいいねぇ
この世のスクリーンは基本IMAXでいいよもぅ

普通の(大きめのスクリーン)で観たときと情報量が違う
エヴァがもともと情報量の多い作品なので違いがよりハッキリ分かる

ネタバレあるよ

(考えがこの作品にとどまらず色んなバージョンのエヴァに言及しますので悪しからず)

とっ散らかってるから真に受けるな

このお話は碇シンジ、ゲンドウ親子が、一方はナイーブな子供のまま
もう一方は、ナイーブなまま少年時代が過ぎ去ってしまい大人になってしまった
二人の人物が対立しているように見せかけているだけで
同一人物の頭の中で起こっているようなお話なんでしょうね、ずっと前から

ここが分かんなかったけど、こういう解釈であってる?

最終盤、シンジがみんなを救っていくシーンで分かんなかったのが

「新劇場版:破」まで登場していた「レイ」(だよね?)を送り出そうとするシーン
「破」までの「レイ」と「Q」以降の「レイ的な存在」は、2作品内では、ずっと別の「存在」として扱われていたのに、なんであの「レイ」は、あそこで「ツバメ」ちゃんに模した人形を抱えていたのか?なんだよね

自分なりに考えてみると、最後のシーンにたどり着いた頃には
今作で名前の無かった「レイ的な存在」にシンジが、「綾波は綾波」と言って「レイ」という名前を与えたことで「レイ」と「レイ的な存在」がシンジの中で「とっくに統合されていた」、からなんじゃないかな?と

「レイ的な存在」が村の中で成長していく過程をシンジも見ていたはずなので、
「破」で皆んなに料理を振る舞おうとした「レイ」と、今作の、村の中で生きていくことを望んだ「レイ的な存在」がオーバーラップして、「Q」時点のシンジの様には、もう別人として見られなくなったのではないかと思うんだよね、どうでしょ?

結局マリってさぁ

なんでエヴァに乗れるの?

マリだけエヴァとの繋がりとか、因縁みたいなのが見えないんだけど・・・
他の連中は何かしら因縁めいたものがあるけど、そのへんの言及とかシーンってありますっけ
「破」で仮設5号機に初めて乗ったんでしょ?その後も2号機、8号機って乗り換えてるし
なんでなん?

 

あと、何で最後シンジがマリと生きる未来を選んだのか少し考えてみた。

 

マリは母性の象徴だったんじゃないか?と・・・おっぱい大きいし
レイとアスカはおっぱい大きくないし・・・

おっぱい大きいのは、縄文時代から注目されるポイントだし
オトコはみんなおっぱい好きじゃん?

国重要文化財「遮光器土偶」 (岩手県手代森遺跡出土 文化庁蔵)

国重要文化財「遮光器土偶」
(岩手県手代森遺跡出土 文化庁蔵)

結局シンジがマリと生きる事を選んだのは、シンジが望んでいた「迎えに来てくれる」を叶えてくれたのが、マリだったからなんじゃないかと・・・

シンジが「置いていかれる」印象的なシーンは各バージョンでいくつもあるし

中でも「迎え」について
一番印象に残っているのは、幼いシンジが公園で知らない「オトモダチ」と砂遊びをしていたけど、暗くなってもシンジにだけは誰も「迎え」に来ずひとり取り残される、旧劇場版のシーン

 

こんな心象風景持ってる子が「必ず迎えに行く」なんて言われたら、
それってシンジにしたら、もうヒーローのセリフじゃん
おまけに年上でおっぱいが大きいんじゃ、そりゃ付いて行きますよ、そりゃ

最後のシーン、駅で待ってたシンジをマリが引っ張っていったし

今になって考えると、
「成長した」って言っても、やっぱりオトコは情けない生き物だからオンナに引っ張られる事になる
みたいな演出だったのかしら?とか勘ぐっちゃう

 

「仕組まれた」、「初恋」ではなく「仕組まれていない」、「偶然の結果」を選び取ったシンジ

カヲルくんの祈りのように、新世紀のシンジに幸せがあるようにと願わずにいられません

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